結局読み手側の想像力に頼るしかないわけで。
そういう意味で読者に左右されたくないから、きっと自分は映像的な文章が好きなんだと思う。
天井から垂れ下がった電線から水溜りに漏電していた。
天井からだらりと垂れ下がった電線は水溜りに触れており、ぱりぱりと電線が電流の熱で火花を吹いていた。
上の文は超適当だけど、何がどうかってのだけを書くのとそこが「どう」なのかを書くのは相当分量が変わってくる。
そこで「どう」を書くのに使える表現の種類は大きく六つ。
まず五感、触見味匂聞。電流の火花ならばちばち言うし焦げ臭いだろうし触ったら死ぬ。味は…多分しびれる?
そこに加えていわゆる叙情的な表現。恐ろしげな、とか比喩表現とか、実体のない表現。
当たり前だが実体のない表現というのはそれ自体読者と筆者の認識のズレが出てくる可能性がある。
ただ、実体のない表現の中でも特に原始的な表現、恐ろしげなとか楽しげな、とかはかなり具体性があると言っていい。むしろ他の表現で現れてくる「差」を補正するのにすら使えると思っていい。これはこうなんだよ、とダイレクトに突きつけることができるからだ。
しかし原始的な表現は幅が狭いので、こればっか使うと小学生の日記になってしまうが。
原始的な表現とは別に、一般的でない表現や造語を使う方法もある。ナスキノコ方式って奴だったか。これは既存の表現を重ねたり組み合わせたり、一般的でない表現系の言葉は細かい意味を持つことが多いのでこれはこれで具体的なイメージを与えるのに役立つことが多い。
ただしこれも注意すべきなのは、一般的でなさすぎると意味すらわからないということになること、そして誤用。特に誤用は一気にバカらしい文章になってしまうので危険。
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